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こっさんめーる9「小倉城」
2001年頃のやりとりで、当時の俺は熊本在住、こっさんは中部地方在住だった。
<俺往信>「小倉城」
これから小倉城へ向かうよ。前から行きたかったのだ。
高杉晋作が奇兵隊とともに落としたその城を見ながら、ロマンを馳せたい。
その時カマジロウはどうしてたんだい?
※カマジロウ・・・こっさんが感動していた榎本武揚の通称(幼名)の釜次郎。
ネタにする時は、武揚ではなくカタカナでカマジロウと書いていた。
<こっさん返信>
僕も今、名古屋に向かってるとこだよ〓
CMで新えびバーガーがやってたので桑名駅の改札を出て食ってきた。
やはりうまい^^アレは新だろうが旧だろうが最高に旨い!!
小倉城かぁ良いねぇ〜、ロマンそのものだ。名古屋城にロマンは感じられないからねぇ〓
精々横で逆立ちしながら、しゃちほこ!と大声で叫ぶ位が関の山だ。
榎本様はその頃オランダかなぁ?
<俺返信>
小倉城はなかなか良かったよ☆
ただ、実質的には落城なのを、執拗に「自焼自焼!」(自分達で火をつけたから落城じゃない)と言ってるとこ以外は。
石垣や天守閣もなかなか大きいし、城の内部もまたおもしろく、からくり人形だらけだった。
そのリアルさは、野市の蝋人形の館も真っ青の不気味さを呈してた。
榎本は日本にいなかったのかあ。
てっきり江戸にいてビビッて震えながら、福沢諭吉あたりに
「ビビッてる君も人間、大丈夫!人の上に人をつくらず」
などと馬鹿にされていてくれたら良かったのに、残念だw

小倉城(ひろい物画像)
※小倉城は1866年(慶応2年)、第二次長州征討で小倉藩と長州藩の戦闘の際、小倉藩は長州藩の攻勢の前に防戦しきれないと判断し、同年8月1日、自ら小倉城を焼却し城下から撤退した。
※ここでの福沢諭吉は、実在の諭吉ではなく、『五稜郭』(日本テレビ時代劇スペシャル第四弾)の中で中村雅俊が演じる福沢諭吉を指す。
『五稜郭』を観てもらえればわかるが、劇中の福沢諭吉を一番象徴してるシーンは官軍が江戸に攻めてくるという江戸城内での会話で、福沢は
「僕は単なる英文の翻訳家として幕府に雇われているだけだ。戦って死ぬ義理はない。高見の見物をさせてもらう」
と言って民家の屋根の上に登って空を見ている、
というシーンがありました。(例によって昔のあやふやな記憶による。)
無論、榎本武揚は主戦派で、当時から榎本ファンだったこっさんは憤慨し、
「なにが『人の上に人をつくらず』だ!屋根に上がって高みの見物ってそのままやないか!最低人間だ!」
と、わざわざビデオでそのシーンを来客ごとに見せつけ熱弁を奮っていました。
その福沢諭吉を指している。
※野市蝋人形ノ館・・・「龍馬歴史館」のこと。
高知県野市町にある坂本龍馬を中心とした歴史館で、目玉は不気味なほどリアルな二十六場面百五十体のろう人形。
一説に夜中には動いて「昼間固まってるのもつらいのう。」と、しゃべっているとのうわさが。
俺は行ったことない。
<龍馬歴史館>
高知県香美郡野市町大谷928番地1号
公式HP:http://www.baobab.or.jp/~ryoma/
こっさんめーる10「名古屋通り魔」につづく
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関連記事:『名古屋城とシャチホコ(2010/04/30)』
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龍馬伝38,39,40回感想「霧島ハネムーン、小倉口の戦い、青木の後藤象二郎」
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S川話「雪の五稜郭と高所恐怖症」
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