2007年10月15日

作家・高橋克彦

 『火怨―北の燿星アテルイ』(講談社文庫)『炎立つ』 などの作者の高橋克彦は、好きな作家の一人なんだけど、江戸川乱歩賞を取って作家になるまでの半生を書いた『小説家』を読んだら、この人の人生そのものが小説的で面白かった。

・1947年、岩手県で開業医の長男として生まれる。
・高校時代に1年休学して従兄弟とヨーロッパに長期旅行して、ビートルズに会った最初の日本人となる

・医学部を受験して4浪するも不合格。その後、弟が「俺が医者なって家を継ぐから、兄貴を好きさせてやってくれ」と親族会議で発言して、医学部受験から一転、早稲田商学部に入学する。理系科目で受験できたので楽に合格。

・入学後、演劇を志してサークルに入るも、部長は自分よりも年下であからさまに嫌な顔をされて断念
・在学中に小説現代の新人賞で3次予選通過。編集長に10年書くのをやめないと言われ、感動して書かなくなる

・就職活動するが、1流企業は年齢制限で受けられないので、浮世絵の研究を独学で始める。幸い、早大は浮世絵の資料を多く所有していた。

・大学卒業後、出版関係の知り合いから勧められて浮世絵の研究書を出すも黙殺される。その本が親のツテなどを回りまわって、久慈市のアレン短期大学専任講師(日本文学)になる。

・岩手県に戻って、もう小説家になることはないなと思っていると、岩手県から江戸川乱歩賞受賞者が出たことを知り、俺は逃げていたんだと発奮し、再び小説を書き始める

・江戸川乱歩賞に目標を定め、傾向と対策のため、過去の受賞作品や選考評などの分析をする。その中で自分の詳しい分野を題材にしたほうが有利と知り、浮世絵を題材にした『写楽殺人事件』を書き上げて応募。見事に1983年に江戸川乱歩賞を受賞する。受賞後に10年書くなと言われた編集長に会うも、本人から「あれは当時誰でも言ってた。うるさそうな若いやつに言ってたんだ」と言われる。

 以降、数々の受賞、『炎立つ』で大河ドラマの原作となるetc以下省略。

 読んでて、ほんとこの人の人生が小説なんじゃないかと思った。
ちなみに作品で一番面白かったのは、『火怨―北の燿星アテルイ』(吉川英治文学賞受賞)。

 前半の1/3は漢字の当て字(当時の表記)が読みにくくて、片仮名に統一してほしいなとか思ったんだけど、中盤から盛り上がってくる。 今まで蝦夷(えみし)=服ろわぬ民と朝廷に従わない民って教科書で習ったんだけど、ひょっとしたらそれは勝者である朝廷のプロパガンダだったのかもしれないと思った。

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 「アテルイ年賦」
 ▽710(和銅3)年平城京遷都
 ▽724(神亀1)年朝廷が、東北制圧の拠点・多賀城(宮城県多賀城市)造営
 ▽767(神護景雲1)年 伊治城(宮城県築館町)造営
 ▽774(宝亀5)年蝦夷の抵抗始まる
 ▽786(延暦5)年朝廷軍が胆沢攻撃へ
 ▽789(延暦8)年続日本紀に阿弖流為(アテルイ)の名が登場。朝廷軍5万2,800人が第1回胆沢攻撃。アテルイ率いる蝦夷が北上川東岸の巣伏村で対戦。ゲリラ戦で朝廷軍に歴史的勝利
 ▽793(延暦12)年 坂上田村麻呂が約10万人の兵を率いて第2回胆沢攻撃。アテルイ軍、大打撃を受ける
 ▽801(延暦20)年 朝廷軍が第3回胆沢攻撃。アテルイ軍、力尽く。朝廷軍が胆沢制圧
 ▽802(延暦21)年 田村麻呂が蝦夷支配の拠点・胆沢城(水沢市)を造営。アテルイ、モレと蝦夷約500人が田村麻呂に降伏。アテルイとモレ、河内国(大阪府枚方市付近)で斬首される
 ▽803(延暦22)年 志波城(盛岡市)造営
 ▽811(弘仁2)年徳丹城(矢巾町)造営




posted by コスト at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・ドラマ等レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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