「核持ち込み拒否条例制定」
高知県東洋町で、核持ち込み拒否条例が制定され、前町長が原環機構に応募していた高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致が中止になった。
原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場問題で、東洋町議会は20日、臨時議会を開き、放射性廃棄物持ち込みを拒否する条例を全会一致で可決、制定した。
条例は、処分場の候補地調査の阻止を掲げて当選した沢山保太郎町長が、この問題に終止符を打つ狙いで提案していた。
条例制定後、記者会見した沢山町長は「民意を踏まえ、原発受け入れ拒否も含めた形にした。全会一致になったことで対立の火種は消えたと思う」と語った。
条例は、いかなる場合も町内への放射性物質の持ち込みを禁じ、それを使用・処分する施設の建設や調査を拒否することを定めた。
(参考:時事通信)
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東京にいるとまったくニュースが入って来なかったが、無事解決してよかった。まだ東洋町民には良識が残っていた。誘致しょうとした前町長(田嶋裕起)を、売○奴だと俺は思っている。過疎などの地方の問題に対して、知恵を出さずに、金のために安易に故郷の山河を売り渡そうとした売○奴である。
エサ=金に釣られて、数十年先、数世代先の子孫のことも考えずにせいぜい自分の数年の任期のために、放射能汚染にまみれた土地にする権利が、たかだが自治体の長にあるとは思えない。処分場誘致に応募した田嶋裕起前町長は、ナイスアイデアとでも思ったのだろうか?核の処分場がどういうものか、本当に影響がわかっているとはとても思えない。
原発ですら事故は起こるし、放射能が消えるのは100年単位に対して、処分場の保管設備の耐久年数はそんなにもたない。嫌になっても次の移転先なんか簡単には決まらない。フランスなどは、パリどころか本土からから遠く離れた南太平洋の植民地の離島に処分場を造っている。
金をもらっても、放射能で汚れた土地になって誰が安心して住めるのだろうか?核のゴミ捨て場になっている故郷に誰が帰りたいと思うのだろうか?誰が大切に想えるというのだろう?
地元住民でない上、日頃田舎には休暇以外帰らないと言ってるので、えらそうなことは言えないのはわかっているが、田舎に金をエサに迷惑施設を押し付けるのはよくあるパターンで、その結果は大抵、誘致先は後悔する結果になっている。
しかも、高知県は25年前(1988年)にも、窪川町の原発誘致で10年にも及ぶ反対運動の末、計画中止になったことがある。すでに歴史として習った世代だが、窪川町は清流四万十川の上流の町で、そこに原発を造っていたら、今も「清流」の名が使えたどうかわからない。そういう県の歴史があるのに、核廃棄物最終処分施設誘致に応募した前町長(田嶋裕起)はアホでなければ、売○奴だと断言してもいい!
(参考:http://geki1015.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_2e1d.html)
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核の処分場以外に、日常的には土壌汚染の問題がある。
例えば、「ブラウンフィールド問題」。
ブラウンフィールド・・・土壌汚染の存在や懸念から、本来その土地が有する潜在的な価値より著しく低い用途あるい、未利用となった土地。
平成19年4月19日に公表された環境省の報告書「土壌汚染をめぐるブラウンフィールド問題の実態等について(中間とりまとめ)」によれば、いくつかの仮定の下に、以下の規模を推定している。
ブラウンフィールド
土壌汚染対策費が多額となるため土地売却が困難と考えられる土地が全国で約2.8万ha(東京都区部の約半分)、対策費に約4.2億円必要となるとしている。
通常の土壌汚染問題でさえ、土地の価値を著しく低下させるのに、自ら核のゴミ捨て場に立候補なんて狂気の沙汰だと思った。でも、計画中止になったので、東洋町は過疎だけれども、白浜の美しい砂浜を有するサーフィンのメッカ(世界大会も開催された)として、今後も存在するだろう(行ったのは3回ぐらいしかないけど)。あやうく、東洋町の海で泳げなくなるとこだった。
得てして地方の権力者は、自分達に貴族特権でもあるかのように勘違いしている輩が少なくない様です。
「俺は生まれてから他人に頭下げたこと無いから」なんて真面目に言ってる奴も居ましたから、、、
困ったものです。
地方のそういう輩は、田舎が仕事がない以外に住みづらい原因の一つですね。人間関係やしがらみがあって文句が言えないというやつがほんとありますね。
この問題の前町長はリコールだったのかどうか、ちょっとすぐにはわかりませんが、次の選挙で落ちてるんで、東洋町の町民は正しい判断をしたと思います。
僕は地方出身者で、おそらく東京でずっと生活していくと思いますが、故郷はそこに住む住民のためだけにあるのではないと思います。遠く離れているものにとっても、どこかで心の支えとなる存在であると思います。帰省の時にしか帰らないにせよ、そこは大切な場所であってほしいと思うのです。