2009年07月19日

京都、大原・三千院(三)ver.1.2

『京都、大原・三千院(二)』のつづき
http://cost-off.seesaa.net/article/123033395.html


     『京都、大原・三千院(三)』

2007/10/07.14:30 建物(客殿)を出て境内を歩く。
三千院庭1bb.jpg

三千院往生極楽院.jpg
宸殿に入る。
三千院往生極楽院4.jpg
宸殿から往生極楽院を見る。
三千院往生極楽院5.jpg
往生極楽院。
三千院往生極楽院6.jpg
宸殿を出て、有清園を歩く。
三千院地蔵2.jpg
わらべ地蔵
三千院池.jpg
往生極楽院の東側の池泉

 三千院には、鎌倉末期〜南北朝時代に後醍醐天皇の皇子で、楠木正成や赤松円心らと共に幕府と戦った護良親王(大塔宮)が入っていた。
 比叡山延暦寺の勢力を味方につけるために出家し、三千院門跡を継承し、門主となる。
 後醍醐天皇の画策で、嘉暦2年(1327年)12月から元徳元年(1329年)2月までと同年12月から元徳2年(1330年)4月までの2度にわたり天台座主となる。『太平記』によると、武芸を好み、日頃から自ら鍛練を積む極めて例が無い座主であったという。

 元弘元年(1331年)、後醍醐が2度目の鎌倉幕府討幕運動である元弘の変を起こすと、還俗して参戦する。
 以後、令旨を発して反幕勢力を募り、赤松則祐、村上義光らとともに十津川、吉野、高野山などを転々として2年にわたり幕府軍と戦い続け、京都の六波羅探題を滅ぼした。

(参照:Wiki「護良親王」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B

   三千院(四)につづく 

〜〜〜〜
関連記事:『京都、大原・三千院(一)』
http://cost-off.seesaa.net/article/122777365.html
『龍安寺B境内の庭園』
http://cost-off.seesaa.net/article/102699654.html
『大津祭りpart1曳山』
http://cost-off.seesaa.net/article/115910843.html
『北方謙三の南北朝物』
http://cost-off.seesaa.net/article/93562082.html

まとめて読む→旅行記・九州話(熊本なる日々) カテゴリー
http://cost-off.seesaa.net/category/1573114-1.html
【目次】旅行記・九州話【記事リンク一覧】
http://cost-off.seesaa.net/article/107431847.html



<追加画像>バージョン違い
三千院往生極楽院1b.jpg

三千院往生極楽院3.jpg
宸殿より
三千院往生極楽院2.jpg
画像ファイル名が間違って往生極楽院になってますが、ここは宸殿。
先に見えるのが往生極楽院。
写ってる人物は無関係。
三千院地蔵44.jpg
わらべ地蔵(ズーム)


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。